軍歴証明書で深める先祖のルーツ

①軍歴証明書とは?

軍歴証明書
「戦争の話を聞く前におじいちゃんが亡くなってしまい、今では当時の様子を知る手立てがない」
こうした思いを抱いている方もいらっしゃるかもしれません。
戦後77年。終戦当時20才だった方も、今では97才になります。
なかなか直接、戦争体験について聞くことも叶わなくなっています。 
軍歴証明書とは、都道府県や厚生労働省が発行する日本軍兵士の行動履歴を記した公的な記録です。
軍歴証明書には、「入隊日、所属部隊、階級、赴任地、疫病、賞罰」など該当者に関する情報が記録されています。
こうした詳細な情報を読み解くことで、今までまったく知らなかった、祖父母の苦労の軌跡も再発見することができます。
軍歴証明書を取得することで、歴史の中に埋もれてしまった戦争の記憶を再び現代に甦らせることが出来るのです。
弊社では、お客様の代わりに代理で取得させて頂いております。

② 軍歴の取り方は?

軍歴証明書の発行申込書

軍歴証明書には、個人情報が含まれています。

ですので、請求者は該当者の身内に限られます。

 

発行申請をできる人には「親等」を基準とした要件があり、主に以下のようなパターンが考えられます。

 

①本人死亡の場合のみ、2親等までの親族までの請求を認める

②本人死亡の場合のみ、3親等までの親族までの請求を認める

③本人が存命でも、3親等までの親族までの請求を認める

④本人が存命でも、6親等までの親族までの請求を認める

⑤本人が存命の場合は本人からの請求しか認めない

 

この通り、自治体ごとに様々なケースがあります。該当者の孫にあたる3親等が基準となっており、曾孫の方だと取得が難しい場合もあります。

 

 

③満洲国に関する記載

満洲国イメージ

満州国は国籍法を定めておらず、法律的には「満州国民」は存在しませんでした。

そのため、満州在住の日本人は、必ず日本の戸籍に入っていました。

 

本籍地が満州国ということは有り得ず、あくまで子供が生まれた場所や家族が亡くなった場所の記載として満州国の表記が出てきます。

 

一例:

満洲國奉天市大和區〇〇町〇〇番地に於テ出生(または死亡)

④取得期限について

家系のイメージ図

軍歴証明書はいつまでに取得したらいいのでしょうか?

 

前述の通り、軍歴証明書は昭和6年から20年までの約14年間の中で、旧陸海軍に入隊していた軍人の記録です。

 

これから記録が破棄されるような事態は当分は考えづらいですが、終戦時に20歳〜40歳だった人が対象だとすれば、4親等にあたる世代もすでにかなり年齢を重ねていることになるでしょう。

 

その下の世代は、軍人だったご先祖とは4親等となってしまうため、その方からは軍歴証明書の申請をすることができなくなってしまう可能性があります……。

 

もちろん、取得が可能な自治体もありますが、お住まいの自治体が該当しない場合、なるべく早い時期に手続きをすることを推奨します。

⑤費用について

一律1件 20,000円(税込み)

 

*申請に必要な、戸籍謄本取得費用などが含まれています。

*実際に軍歴証明書を取得できたとしても、大した情報を得ることができないケースもあります。

代表塩崎の体験談

軍歴証明書を取得して分かった祖父のこと

こんにちは。

命つながる家系図 代表の塩崎明子です。

私の体験談を少しお話させて下さい。

 

私の父は昭和16年 満洲国生まれで、戦後、5歳の時に3歳の弟と母親と3人で日本に引き揚げしてきた。

 

後にわかることですが、祖父は、満洲からシベリアへ抑留され2年後に帰国しました。

 

 

祖父は満洲で何をしていたのだろうか?

 

 

父なき後、私は祖父についてほとんど知らないということに気が付きました。

 

大人になって家系図と出会い、情報がほとんどないところから戸籍を集めて祖父の軍歴証明を取得した際に、「満洲からの引き揚げ記録」があると知り手にした時から更に興味が膨らみました。

 

 

 

●軍歴証明書を取得してわかったこと

 

民間人として夢を描き満洲国へ渡った祖父は、昭和19年、日本の戦局が厳しくなる頃に徴兵されて歩兵部隊 第280歩兵連隊に配属され 

第九国境守備隊をしていました。

 

昭和20年8月15日

朝鮮シュンコ市にて赤軍に捉えられて捕虜となる。

 

それまで勤めていた会社もわかりました。

なんでもわかるわけではなりませんが、私にとって雲の糸をたどるようなルーツ調査において大きな感動をもたらしてくれました。

 

そして、昭和22年、舞鶴港に降り立つまでの道のりが少しだけ垣間見ることができました。

 

 

満洲からの引揚記録によれば、チャムス市から葫蘆島へ避難。

昭和21年(1946)8月1日、終戦から約1年後に祖母、父、父の弟が山口県の仙崎港に上陸した。

 

ということもわかりました。

 

 

満洲国にいた日本人は軍人も含めて約150万人。

この時、20万人の民間人が引揚げの最中に命を失いました。

 

困難の末に命をつないでくれた先祖への感謝が溢れます。

 

 

私も今年40歳です。

歴史を知らずして、日本の未来はないと考えています。

 

グローバル化するこの複雑な世界情勢の中、私達日本人は、日本の歴史をしっかり知り、そしてきちんと未来へつなぐ必要があると感じています。

 

先日は、満洲国の研究に情熱を燃やしている東條のとさんとの出会いによって満洲国を学ぶ会を企画させて頂きました。

 

第二次世界大戦終結から今年は77年。

8月15日、終戦の日のテレビ番組からは段々と戦争に関する話題が消えてしまっています。

 

戦争を体験した方々が日々亡くなっていく中で、戦争を体験していない私たちは、これから何をどのように繋いでいけばいいのだろうか。

 

その為に、まず資料を集めて学ぶことが大切だと感じています。

 

あなたのご親戚に戦地へ行かれた方がいるようでしたら、ぜひ、この機会に調べてみてはいかがでしょうか。

 

塩崎明子

自分での取得は難しそう、けどやってみたい!

ご興味を持たれた方、まずは気軽にお問合せ下さい。