「自分は一体何者なのだろうか」
(株)みそら-命つながる家系図 スタッフのHです。
突然ですが、上の問いを、誰もが一度は脳裏に浮かべたことがあるのではないでしょうか。
あるいは、何年、何十年もこの問いの答えを探し続けている人も多いかもしれません。
ところで、自分が何者であるかは、何をもって証明できると思いますか。
学歴や職歴、特技や趣味、思想や信仰など、人によって思い浮かぶことは様々です。
ただ、ここで自分の「ルーツ」を語る人は、おそらく少ないのではないでしょうか。
ルーツ(roots)には、物事のおおもと、起源、出自という意味があります。
つまり、自分のルーツとは、自分という存在の起源・出自であり、自分まで繋がる先祖たちの存在を知ることでもあります。
日本には「戸籍」という人の出生から死亡に至るまでの親族関係と日本国籍を登録公証する独自の制度があり、
直系の親族を軸とした自分のルーツを辿ることが可能です。
戸籍は単なる記録に留まらず、個々の人生の背景を示す側面もあり、記載された事象のどこか一点でも欠けてしまえば
今の自分は存在しなかったことを知る唯一無二のきっかけになります。
「自分は一体何者なのだろうか」
前置きが長くなりましたが、自分のルーツを辿ることは、この永遠の問いに対する一つの答えになり得ると思いませんか。
実は、私自身も自分が何者であるかに悩み、ルーツを辿ることで自分という存在を肯定できた経験があります。
今回は、自分のルーツを辿るために戸籍調査を始め、人生観に大きな影響を受けた私の経験をご紹介します。

自分のルーツを辿りたい。きっかけは遠方の祖父の死。
今から2年前。施設で暮らしていた祖父が亡くなったと連絡がありました。
私は結婚を機に車で5時間以上かかる遠方に住んでおり、実家は雪国のためアクセスが悪く、更にコロナ渦の影響もあり、祖父が施設に入居してからの数年間は一度も会いに行けませんでした。
ですが、真冬に連絡を受けた私はすぐに飛んで帰ったのですから、行こうと思えばいつでも行けたのです。余裕がないから。子供の行事が優先だから。そんな言い訳ばかりを繰り返していました。
後悔、先に立たず。この時ほど、この言葉の重みを感じたことはありません。
記憶の中の祖父は、いつも一人でした。
家族なのに、おかしいな。
私は幼いながらにそう思っていながらも、声にすることはできませんでした。
後に、その孤立は祖父自身の行いが招いたのだと別の家族から教えられます。
聞いた限り、納得せざるを得ない内容ではありましたが、祖父の口から事実を聞いたことはありません。
三人の子供のうち中間子だった私は、上の子、下の子のことで親が忙しそうな時、祖父と過ごすことが多かったように思います。
祖父は、よくプールに連れて行ってくれました。泳げないのにプールが好きな私の手を引いて、水の中を何周も回ってくれました。
家を出ていく日、誰よりも泣いていたのが祖父でした。
胸の奥底に沈む無数の感謝を伝えらなかったこと。
私はしばらく心にポカンと穴が開いた心地でしたが、再び目の前のことに精一杯の日々に戻っていきました。
ある日、ひょんなことから、祖父の生まれから亡くなるまでの戸籍謄本の束を目にしました。
久しぶりに見た祖父の名前。私は思わず指で名前をなぞりました。
そこには、祖父の生年月日や亡くなった日、祖母との婚姻日、父と養子縁組をした日、
会ったことのない曽祖父・曾祖母や兄弟たちの名前などが記録されていました。
昭和初期の生まれの祖父の戸籍には明治・大正生まれの親族たちが筆書きで並び、テレビや小説でしか触れたことのない
歴史の一ページと今の自分がリンクしたような、静かな高揚感に包まれました。
そして、私は祖父の戸籍のどこにも自分の名前がないことに気付きます。
不思議に思い調べてみると、戸籍というものは何度か改正されており、現行の戸籍上で一緒に記載されるのは
夫婦とその子供(婚姻等の理由で別の戸籍を作った場合は除籍となる)までだと分かりました。
そこで、私は自分の戸籍を全て集め、祖父の戸籍と照らし合わせてみました。
祖父の生まれから今の私までが時系列で繋がり、一瞬、祖父がすぐそばに来てくれたように感じたことを覚えています。
以前、役所の方から祖父の家系はもう少し過去の戸籍まで遡れることを聞き、思いきって遡れる限り全て集めてみることにしました。
戸籍は保存期間が決まっており、古いものから順次処分されていくことを耳にしていたからです。
聞いたこともない先祖と村の名を申請書に記入する手は、どこか緊張していました。
そうして受け取った最古の戸籍は、明治初期に作られたものでした。
戸籍の中で最年長の先祖は文化元年(1804)生まれ。
つまり、200年以上前の江戸時代後期の先祖から自分までが一本の糸で繋がったのです。
この中の誰か一人でも欠けていたら自分は今ここに存在しなかった。そう感じずにはいられませんでした。
この経験が、自分のルーツを辿る大きなきっかけとなりました。
戸籍調査で知った、祖父の過去。
祖父の死をきっかけに戸籍を集めだした私ですが、戸籍を読み解けるようになるまで、多大な時間を要しました。
しかしながら、戸籍を読めば読むほど、祖父が決して語らなかった過去が少しずつ浮かび上がってきました。
祖父の父は婿養子だったこと、母は祖父が16歳の時に亡くなり、それを追うように幼い弟まで亡くなったこと、
母亡き後は父が男手一つで5人の子供を育て、家を支え続けたこと。どれも祖父の口からは聞いたことがありません。
しかし、祖父がよく柿を食べながら「弟が好きだった」と呟いていたのは、きっと早世の弟のことだったのだと今は思います。
私が覚えている祖父から語られた過去の話は、たったこれだけです。
気難しく近寄りがたい雰囲気の祖父でしたが、聞けばきっと、絶対に教えてくれたはずだと、そう思えてなりません。
祖父の戸籍を見るたびに、昔の話をもっと聞いておけば良かったと後悔の気持ちが込み上げてきます。
しかし、同時に、子供の頃の記憶が少しずつ蘇ってくる特別な時間でもあります。
写真や映像では味わえない、自分の記憶の中を旅するような、故人の記憶が入り込んでくるような感覚です。
戸籍を集めることは決して楽ではありませんでしたが、戸籍のおかげで、周りの目を気にせず、
はじめて心から祖父に思いを寄せることができたと思っています。
あの頃の祖父が手を引いてくれたプールの感触を思い出すたび、困難の中でもなんとか泳いでいける。そんな風に思うのです。
私が戸籍調査を一人でも多くの人にやってほしい理由。
「自分は一体何者なのだろうか」
思えば私は、結婚を機に「配偶者」となり、子供が生まれたことを機に「親」となり、年齢を重ねるほど立場が一人歩きし、
生まれもった名前で呼ばれることは減ってきました。
大人になるとはそういうものだと理解しつつ、子供の頃に信じて疑わなかった「自分」という存在が、
どこか遠くに消えてしまったような錯覚に陥りました。
社会的に誰かに認められることや、誰かに与えることでしか「自分」を認識できない不安感。
これが「自分は何者なのか」という悩みの種だったのかもしれません。
そんな時、祖父の死をきっかけに戸籍を集めだし、自分のルーツを辿るようになりました。
100~200年以上前の先祖たちに出会い、今ここに自分の命があるのは決して当たり前ではないこと。
亡き家族の知られざる事実に触れ、心に余白が生まれること。
ルーツを辿ることで得たものはたくさんありましたが、何よりも、先祖だけでなく子供の頃から続く自分の記憶と
向き合う体験ができるので、その時間がより深い自己理解や自己肯定に繋がっていくと感じています。
大人になってからの過去を振り返ることは日常であっても、子供の頃の記憶に直接アクセスすることは、そうそうない経験だからです。
先にも触れましたが、戸籍は保存期間が決まっており、古い戸籍は各市区町村で日々処分されています。
つまり、皆さんの家の最古の戸籍はいつまでも残っているわけではないということです。
そして、話題の選択的夫婦別姓など、戸籍、そして戸籍制度を取り巻く環境は常に変化しています。
だからこそ、今、戸籍調査をやってみてほしいと思います。
たった一度の人生。自分という何者でもないオンリーワンの存在のルーツを辿る旅に出てみてはいかがでしょうか。

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